もう少しだけガレット・デ・ロワのこと
エピファニー(公現祭)は
過ぎたものの、
フランスでは今月いっぱい楽しまれる
ガレット・デ・ロワ。
日本でもかなり知られた存在になりました。
フランスに勝るとも劣らないレベルの
日本のガレットですが、
もう少しお菓子の背景を知ると
更に楽しみも増える!ということで、
手元の資料をもとにまとめました。
とーっても長いですが、ご興味あれば♥
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
【起源】
古代ローマ時代に遡ると言われています。
農耕の神サトゥルヌス(Saturnu)を祝う
サトゥルナリアが
毎年12月中旬から7日間行われ、
その際にくじに当たった奴隷は1日限り
王様としてふるまえるという
遊びがありました。
すでにその当時、くじ引きは丸いガレット
(円盤状の菓子)に埋め込まれた豆だったと
言われていますが、
今のような宗教性はありませんでした。
冬至を過ぎ、日が延び始めるこの時期、
太陽を象徴するのがこの丸い形でした。
もう一つの起源として、
11世紀のブザンソンでのしきたりが
知られています。
この土地の教会参事会が
次期責任者を決める際に
このくじ方式を用いていたのです。
それはパンの中に銀貨が埋め込まれたものでした。
この習慣は形を変えながら広まっていき、
パンの代わりにガレットやブリオッシュが、
銀貨は身分に応じて金貨や空豆が使われ、
また次第にキリスト教のエピファニー
(1月6日の公現祭)に統合されて
今につながるようになりました。
エピファニーは、
キリストの誕生のお告げを受けた
東方の三博士が、
1月6日にベツレヘムの馬小屋で
その事実を認め、
キリストに贈り物をした日…
すなわちキリストの存在が
「公」になったことを祝う日です。
クリスマスからエピファニーまでは
「降誕節」と呼ばれます。
ガレット・デ・ロワは
そんな背景を背負った
祝祭菓子です。
【フェーヴ】
本来「空豆」を意味し、
当初は陶製ではありませんでした。
ガレットが
エピファニーのお菓子となった頃は
その宗教的意味合いから
産着に包まれた赤ん坊の形が
多かったようです。
次第にエンターテイメント性が濃くなり、
様々なデザインのフェーヴが登場します。
陶製のフェーヴが用いられたのは
1874年、ドイツのマイセンに
オーダーされたものと言われますが、
フランス革命時のフェーヴが三角帽
(革命の象徴)や
トリコロールのリボンだったという
説もあり(ただし材質が何かは不明)、
多様なデザインと陶製の登場時期は
私自身は正確につかめていません。
(革命時はガレットデロワ
(王様のガレット)とは呼ばず
ガトー・ド・レガリテ(平等のお菓子)
と言われたようです)
【フランス各地のエピファニーのお菓子】
*パリ近郊:日本で一般に知られるガレッ
トです。
2枚のパイ生地にアーモンドクリーム
(もしくはフランジパン)を挟み、
上部表面にレイエと呼ばれる模様を
施します。
*北フランス:ダンケルク周辺で
見られるものは
丸く焼かれたブリオッシュに
クレーム・ムースリーヌを
挟んであります。
*南仏(ラングドック・プロヴァンス):
ブリオッシュ生地を
王冠型(ドーナツ型)に成型し、
その上にフリュイ・コンフィ
(フルーツの砂糖漬け)を
飾って焼き上げます。
*リヨン近郊:パリスタイルに近く、
中にはフランジパンを挟みます。
ちなみに、
リヨン(ロワール川とも?)を境に
南がブリオッシュタイプ、
北がパイ生地タイプといわれますが、
その線引きもおおまかなものです。
*フランシュコンテ:シュー生地ベースの
ガレット
(上記ブザンソンのガレットは
このスタイルと思われます)
※この他にもエピファニーを祝う
お菓子のヴァリエーションは
フランス各地に見られます。
さらに言うならエピファニーを祝う
習慣のある諸外国
…ヨーロッパ諸国やアメリカ…
それぞれのスタイルの
祝祭のお菓子が存在します。
【楽しみ方(食べ方)】
①主人がガレットを人数プラス1の数に
切り分けます。
②あらかじめ最年少の人が
テーブルの下に潜り、
切り分けた一切れずつを
その場のメンバーに
割り当てていきます。
(テーブルの下にいるので、
仮にフェーヴが飛び出ていても
見えません)
③フェーヴを当てた人は王冠をかぶり、
その日一日王様になり、
自分のパートナーを指名できます。
④余分の一切れは
マリア様、貧しい人、
その日都合で参加できなかった人に
捧げます。
長くなりましたが
ガレット・デ・ロワの姿を
ご理解いただけたでしょうか?
まだまだ書き足りませんが、
ひとまずこの辺で…(笑´∀`)
最後に先日行われた
ガレットデロワ献上式の様子を
ご紹介しますね
お読みくださり有り難うございました。
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